ジョーの変化(2)

7月1日、2日の3公演を観劇してきました。

ジョーは以前観たジョーとはまったくと言っていいほど違っていたし、作品全体の雰囲気も違っていました。ここが着地点かと少々予想外ではありましたが(そもそもスナフキンイメージに翻弄されていたシロートの予想なんてホントどうでもいい)、カチッとピースがはまったような感じと、舞台の熱量と、眼光鋭いしびれるほどかっこいいジョーを堪能してきました。

感想なんて個人の財産です。人それぞれ異なるので晒す意味があるのか考えたりもしますが、私個人は人の感想を読むのが楽しいので一部のそんな人に向けて。

詳しい時代考証や作者の背景などは加味していません。作品の楽しみ方は個々人特有のものがあると思いますが、自分の場合理解したいのは自分の目で観て感じた作品で、必ずしも原作ではないのかな。というか知識も考察力もないので感じる以外の方法を持たない。そんなわけで先入観なく感じたままを大切にしたいなぁと。(とは言え背景の理解があれば別の見方もできるし、オリジナルの意図も気になるので、それはまた別途。)

 

7月1日のジョー

「ア…アニキ...」と言うのが最初の感想。以前観劇した時に感じた仄暗い背景や鬱屈した感情は見えず、勢いがあって、子供っぽくて、茶目っ気もあって、気まぐれで衝動的なアニキ。おそらく頼りになる。間違いなく下流の出自で、ギャンブルで一発当てた金で成り上がったアニキ。教育は受けていないだろう。仕事もまぁ本当にしてないんじゃないかな。気障で粗野で、女性にだって気軽に声をかける。酒場の人達やトムに対する愛情、ニックに対する信頼が見て取れた気がした。(これは以前、そこまで強くは感じなかった部分。)

以前感じた憂いも孤独も葛藤も影を潜め、酒場での日常を楽しんでいた。酒場の片隅でひとり浮いていたジョーが、この日は酒場の常連として仲間の一人になっていた。セリフの言い方にも思わせぶりな所が少なくなり、そのまま受け取ればいいような。

舞台全体の印象も明るく熱量が増した。テンポもよく、一体感があり、酒場=ホームという感覚をより一層強く感じた。作品解釈の深度が削られて分かりやすくなった分、エンタメ性が強くなった気がした。

 

7月2日(千穐楽)、最後のジョー

基本的には1日のジョーと同じだけれど、さらに進化していた。めちゃくちゃかっこよかった。みとれるほどかっこよかった。(実際何度も見とれて思考停止していた。)

一番違ったのは頭がよさそうだったところ(←語彙力)。7月1日のジョーが、運だけで成り上がったギャンブラーだとしたら、世の中を見極める嗅覚の鋭い切れる男という感じ。貧しい出自により教育を受けることはできなかったが、元来の頭の良さと勘の良さに加え、実地で学んだり独学で習得したりした知識で世を渡り、有り余る金を得た。もし投資の世界に身を置いていたとするならば、相当な切れ者だと思う。ギャンブルを含め投機的金儲けの厳しさを身をもって知っているので、トムが夢みたいなチャンスについて話す時は大変にシビアな態度だった*1

金に執着はない。でも金が人を狂わすことを知っているから、ただ渡すことはしない。トムを筆頭に酒場に集まる存在を慈しみ愛おしみ、その存在を守るニックを信頼し、自分もまたそこにいる。絶対に頼りになる。危ない方面でトラブルに巻き込まれてもどうにかしてくれそう。ニックへの信頼が強く表れていたような気がする。ある意味相棒みたいな*2。少しの憂いと背景も感じられたかな、この日は。きちんと個人としてそれぞれと心を通わせていた。

1日のジョーは粗野で少し野蛮な感じすらしたけれど、この日のジョーにそんな野暮ったさは欠片もなく、眼光の鋭い、研ぎ澄まされた男がいた。この日のジョーは、どこまでも美しくて鋭くてしびれるほどかっこよかった。

舞台全体も1日と同じ感じだったけれど、さすがに千穐楽の熱量がこもっていて、一体感と迫ってくる気合いを感じた。

両日通して最も印象深かったのが、最後、酒場を出る時に帽子を胸に挨拶をする時の表情。安堵と感謝と少しの寂しさと後悔が混じったような、どこか解き放たれたような暖かな微笑み。今思い出しても涙が出そう。もちろん劇場では泣いた。

 

7回観劇した。原作も読んだ。情報センターで台本も一部読んだし、少しばかりのリサーチもしてみた。でもやっぱり分からないところが多い。特にラストシーン。

なぜブリックを殺すのはジョーではいけなかったのだろう。

失敗したジョーは操り人形の糸が切れたように座り込む。ジョーを動かす糸はなんだったのだろう。どの糸を失って心を飛ばし、どの糸を得てまた立ち上がったのだろう。

なぜジョーは、酒場を出なければならなかったのだろう。

 

1つの舞台をこんなに繰り返し見るのは初めてだった。見るたびこんなに印象が変わるものかと驚いた。見る側以上に演じる側の戸惑いも大きかったのかもしれない。試行錯誤の跡が感じ取れた。事前のインタビュー記事や原作を見る限り、今回の着地点は当初予想していたものじゃなかったんじゃないかと思ったりもする。商業演劇としてここまで揺らぎがあるのも、もしかしたら賛否両論あるのかもしれない。

でも観る側としては、毎回いろんなジョーに会えたし、舞台のいろんなところで新しい発見があった。その度に解釈も変わり、期間中ずっと楽しめた。毎回毎回、隅から隅まで、観劇した後も反芻してとてもとても楽しめた。頭の中で音楽は鳴りやまないし、タップの乾いた音や誰かのセリフが響いている。

私はとても好きでした、坂本さんのジョーも、宮田版『君が人生の時』も。

*1:これは前からかな。

*2:どこかの資料で、ニックは善良で親分肌で、腹が減って死にそうだったり金がなかったりする客や従業員に、お昼ご飯を食べさせたり酒を飲ませたり仕事を与えたりしているけれど、その金勘定に対するおおらかさを支えているのはジョーが注文するシャンパンだ、みたいなことが書かれていたので、ニックはみんなを守っているけれど、その場を経済的に守っているのはジョーなのかなぁと。